脳脊髄液が頭の内側で過剰に留まる水頭症や頭痛、てんかん、脳卒中、脳血管障害などの症例において、その権威といわれているひとりが上津原甲一氏です。

上津原甲一氏はつい最近まで鹿児島県の鹿児島市立病院の院長に赴任していました。この病院は30数年前に、日本で初めてとなる五つ子が誕生したことでも有名な病院です。されども、2013年夏、現都知事にも政治資金を流したといわれる某医療法人とも深い関係にある現県知事により実質更迭されてしまいましたので、現在では前院長ということになります。

この更迭人事には、民活利用という名のもと、特定業者への病院運営委託であるPFIを方針とする県知事と、医療の原点を見失わず、利益が出れば職員研修や機器の導入にあてるという医師側の激しい対立が背景にあるようで、前院長はその先鋒に立っていました。あるいは同県知事の大往生ともいうべき年齢の90歳になる父親が緊急搬送された先の鹿児島市立病院で死亡したなどというワイドショー的な要因もあるといわれています。いずれにしても同知事にも都知事同様、辞任しない限りは捜査当局の手が伸びることでしょう。

さて前院長の経歴ですが、昭和42年(1967年)に鹿児島大学医学部を卒業し、昭和45年からは東京女子医大で助手となり、昭和51年には鹿児島大学医学部講師となられました。また昭和56年から1年間、カナダブリティシュ・コロンビア大学留学し、帰国後は鹿児島大学医学部助教授となり、昭和63年には鹿児島県奄美大島という某医療法人の本拠地で、それと相対する鹿児島県立大島病院の院長となりました。そして平成2年には鹿児島市立病院脳神経外科部長となり、同病院の副院長を経て、平成17年には同病院の院長として8年間在籍していました。その間、脳神経外科医一筋でやってきた名医で、とくに脳神経から起こる頭痛の権威といわれています。

院長在籍中には、ドクターヘリの導入に注力されるとともに、鹿児島市立病院を全国でも有数の脳神経疾患の急性期医療施設にした人物です。そのため、同病院では、急性くも膜下出血をきたす脳動脈瘤は年間100症例近くもあり、開頭クリッピングによる手術や血管内治療も積極的に行っており、早期発見にも注力していることから、くも膜下出血を起こす前の未破裂脳動脈瘤の治療件数も鹿児島県内ではダントツの1位になっていました。

また平成19年には院内に脳卒中集中治療室を開設しており、脳動脈瘤、脳腫瘍、脳出血、頭部外傷などの脳の障害だけでなく、それに纏わる三叉神経痛、顔面痙攣など脳と隣り合わせの部位も含めた施術に定評があります。その症例件数は多い年では500件近くにもなっており、開設以来5年間で2000件を超えています。

また、ご存知のように鹿児島県は離島が多く、平成17年の国勢調査でも離島部だけで約18万人もの人口があり、これは鹿児島県全体の11%も占めています。
また山間部や錦江湾でさえぎられる大隈半島など利便性の悪い地も含めれば、大半が救急ヘリを必要とする地なのです。こうした功績をもとに、同病院は平成22年には総務大臣賞も受賞しています。それらすべてが院長として在任中のものなのです。

更迭にいたっては500以上もの反対の嘆願署名が集まったようですが、院長を退いた現在でも、上津原甲一氏は日本頭痛学会理事を勤めていますので、今後新天地での活躍に期待するとともに、同県にどげんかせんとというお隣の県のような人が現れることを祈るだけです。