脳神経外科で活躍中の医師に、塩川芳昭という医師がいます。脳神経関連の分野において、名医と言われる医師の1人です。脳神経に関わる分野全般に携わっていますが、とりわけ脳卒中と良性腫瘍を専門として活動しています。

塩川芳昭医師は、名古屋の生まれです。父親が転勤の多い仕事をしていた関係で、頻繁に転校を繰り返していました。子どもの頃は主に大阪府吹田市で過ごしていて、小学校4年生の頃、東京都に出てきたのです。1982年に、東京大学の医学部医学科を卒業して、本格的に医師としての活動を始めました。東京大学附属病院で研修医として経験を積み、1983年には東京警察病院の研修医として更に技術を磨いていきました。1985年には富士脳障害研究所付属病院の医員、1986年には東京都立府中病院に勤務しました。

1989年には、海外に出て行き、スウェーデンのLund大学で経験を積みました。1992年には、同じくスウェーデンのKarolinska研究所での研修を受けます。そして同年、日本に戻ってきて、富士脳障害研究所附属病院の医長を務めることになりました。その後、1993年には杏林大学の脳神経外科で医長を務め、1998年には助教授となり、2003年からは教授として活躍することになったのです。

塩川芳昭医師が、医師になることを本格的に目指し始めたのは、高等学校の在学中でした。身近に病気がちな人がいたというのが、大きなキッカケとなっています。多くの人々を救うことのできる医師に興味を持ち始めたわけです。とりわけ外科に対する関心が強かったのです。大学では、医療系のサークルに所属し、障害を持った子どもたちとの関わりを持ってきました。この経験も、医師としての仕事をする上で、大きく役に立っています。医学部では、消化器外科か心臓外科のどちらかに進もうとしていましたが、数多くの経験をしていく中で、脳神経外科に進むことにしました。

塩川医師が、医師として活動を始めた頃は、ちょうどCTスキャンができた頃でした。その後、大きくテクノロジーが進歩していき、医学は発達していきます。塩川医師は、その大きな流れの中で、脳神経に関わる疾患の治癒を全身全霊で行い続けてきました。患者さんが元気になって歩き出せるようになることを目指しています。手術を行う前には歩くことができなかった患者さんが、手術を受けた後、自分で歩いて外来に訪れるようになるなど、塩川医師にとっても喜ばしい経験が多々あります。

塩川芳昭医師は、患者さんとのコミュニケーションを非常に重視しています。とりわけ手術を行う前には、徹底的な説明を行って、確実に患者さんの理解を求めます。塩川医師のこだわりと言えるのは、手術前にしっかりと患者さんと握手を交わすことです。握手によって、自分が手術を行うのだという意思を明確に示し、患者さんの気持ちを安心させているのです。リスクの大きい脳神経外科の手術は、患者さんの気持ちが大切なのです。