村山雄一は現在、東京慈恵会医科大学において、脳神経外科における診療部長であり、教授です。また、カリフォルニア大学のロサンゼルス校における脳血管内治療部における教授も兼ねています。村山雄一はごく普通の家庭に生まれて育ちました。つまり、小さい頃から周りに医師がいる環境で育ったわけではないということです。そして、東京慈恵会医科大学に一浪して入学しました。在学中においては特に目標とする医師がいるわけでもなく学んでいたが、大学6年のときに村山の気持ちを動かす人物に出会います。その人物はカナダから帰国した脳神経外科の講師であった阿部俊昭氏です。阿部氏は当時海外で行われていた局所麻酔を行い開頭して脳のさまざまな部分に触れながら疾患を探していくというアウェイクサージェリーを紹介しました。そして、脳神経について専門的に学ぶ教室に入局しました。大学を卒業してから4年後に村山にとって人生を大きく左右する人物と出会うこととなります。その人物はカリフォルニア大学ロサンゼルス校の神経放射線科の教授であるフェルナンドビヌエラ氏です。ビヌエラ氏は当時動脈瘤の治療のときには当たり前であった開頭手術ではなく、カテーテルを用いた先進的なコイル塞栓術を初めて開発した人です。ビヌエラ氏の講演が日本であることを知り、阿部俊昭氏に紹介してもらいました。そしてその翌年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校に留学に向かいました。そして、ビヌエラ氏の手術を見学する一人となっていました。手術を見学しているうちに村山はビヌエラ氏の手術における欠点を発見しました。ビヌエラ氏の方法では動脈瘤が再発する可能性があったからです。そして村山はコイルに再生医療において用いられている生分解性ポリマーでコーティングすることを提案し、実験を行ったところ成功しました。そして、カリフォルニア大学ロサンゼルス校において研究、診療を行い教える側に立たなければならなくなり、昼は手術、合間に研究、そして夜はアメリカでの医師免許取得のための勉強を行いました。カリフォルニア大学ロサンゼルス校に行って8年が経過して阿部俊昭氏の勧めもあり、日本に帰国することとしました。そして東京慈恵会医科大学で助手として診療、研究を始めました。そして、動脈瘤の治療において開頭手術とカテーテルを使った治療の両方を行うことができる治療室を開発しました。そして、村山は日本における動脈瘤の治療のパイオニアとして業務を行っています。脳血管内治療センターにおいてはパソコンが整然と並んでいてカリフォルニア大学ロサンゼルス校の医師とリアルタイムでカンファレンスを行うことができます。ネットを使って患者の状況がわかる支援システムであるi-Strokeや血流をコンピューターでシミュレーションする装置を開発しました。このようなシステムの開発など既成概念にとらわれない自由な発想が村山の治療技術を進歩させていると言えます。