医療の分野では、数多くの名医が活躍しています。特に、外科系の分野においては、非常に高度な技術を必要とするものが多いです。たとえば、脳神経外科の名医として知られる渡辺英寿医師は、脳疾患に関する治療の第一人者として活躍しています。

渡辺英寿医師は、1976年に東京大学の医学部医学科を卒業して、医師国家資格試験に合格しました。最初から脳神経に関わる分野を専攻していて、1976年には東京大学の脳神経外科に入局しました。その後、1977年には三井記念病院で勤務、1979年には東京都立墨東病院で勤務しました。1980年には、東京大学医学部の第一生理学教室助手となり、1985年には東京大学の脳神経外科で助手を務めるようになりました。

1985年には、西ドイツのエルランゲン大学に留学して、医療の知識・技術を高めるとともに、国際的な広い視野を身につけました。西ドイツへの留学経験は、渡辺英寿医師が日本に戻ってからの活躍に、大きな影響を及ぼすことになりました。1988年には日本に戻り、東京警察病院で勤務することになりました。そして、医幹、医長、部長というように昇進を重ね、2004年4月からは、栃木県にある自治医科大学附属病院の脳神経外科にて、教授・診療科長の職に就きました。機能外科・コンピュータ外科・てんかん外科・内視鏡下垂体手術など、脳神経に関わる治療を専門としています。

渡辺医師は、脳神経の分野で権威として知られていますが、活動の範囲は脳神経の治療にとどまっていません。適切な医療を行うためには、優れた機能を持つ医療器具が必要不可欠です。渡辺医師は、医療用の機械を開発するという重要な仕事にも従事しているのです。1986年には、手術の最中に、見通しが悪くなってしまう部位に最適なアプローチをする際、カーナビゲーションシステムのような役割を果たす器具を開発しました。この器具は、ニューロナビゲータと呼ばれ、脳神経・頭頸部・整形外科など、幅広い領域での治療に役立っています。応用性の高い器具なので、手術の安全性・確実性が大幅に向上しているのです。さらに、1994年には、近赤外線を用いて脳の活動状況を外部から観察することができる器具を開発しました。光ポトグラフィーという器具で、たとえば言語機能の診断、てんかんの焦点の同定をはじめとした臨床に活用されています。

脳神経センターの外科部門では、脳や脊髄の手術を必要とする疾患を対象としています。渡辺英寿医師を筆頭に、18名の医師が連携して治療に当たっています。また、救急部・神経内科・リハビリテーション科・放射線科など、関連する診療科との緊密な連携を大切にして、患者さんにとっての最適な治療を進めていきます。

渡辺医師は、年間で約100件の手術実績があります。外来の診療は、火曜日の8:30から11:30に行っていて、渡辺医師の受診には他の医療機関からの紹介状が必要です。