脳神経外科の名医
里見淳一郎 医師
病院には、複数の診療科がありますが、それぞれに専門の医師がいます。医師免許1つで、あらゆる診療科で診察・治療を行うことが可能ですが、通常は専門分野を決めて診療に当たっているものです。たとえば、非常に高度な技術が必要とされる脳神経外科には、里見淳一郎という名医がいます。優れた技術で、多くの患者さんを救ってきました。 里見淳一郎医師は、徳島県徳島市にある徳島大学病院の脳神経外科の副科長、徳島大学病院脳卒中センターの副センター長を務めています。1992年に香川医科大学の医学部を卒業して、徳島大学医学部の脳神経外科に入局しました。2000年には、カナダにあるトロント大学に留学し、幅広い知識を身につけて …
木原俊壱 医師
医療の分野においては、それぞれの診療科ごとに、名医と呼ばれる医師がいます。たとえば、脳神経外科で活躍している木原俊壱医師が挙げられます。『医は世のため人のためのものである』というモットーを掲げて、日々の医療に邁進しています。提供する医療の水準を高めて、世界水準を実現するように努力しているのです。臨床・医療の現場においては、相手の身になって考えるということが特に重要です。患者さん・家族がどのような治療を望んでいるのかを、ともに考えながら治療を行います。 木原俊壱医師は、1960年に福岡県北九州市で生まれました。1988年に、佐賀県の佐賀医科大学、現在の佐賀大学医学部を卒業し、医師国家資格試験に合 …
坂井信幸 医師
某国営放送にて、毎週月曜日放送のプロフェッショナルを特集した番組で登場したことがある神の手を持つといわれる脳神経外科医がいます。それが坂井信幸氏です。坂井信幸氏は、現在先端医療センター脳神経研究グループ脳血管内治療部部長と神戸市立中央市民病院の脳卒中センター医長を兼任されている人物で、頭にメスを入れる開頭手術をせずに、マイクロカテーテルといわれる細い管を血管に入れて治療する脳血管内治療の第一人者と言われています。 1984年に関西医科大学を卒業し、1991年にはアメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校に2年間留学し、帰国後には、関西医科大学医学博士となり福徳医学会病院部長に就任しました。その …
渡辺英 医師
医療の分野では、数多くの名医が活躍しています。特に、外科系の分野においては、非常に高度な技術を必要とするものが多いです。たとえば、脳神経外科の名医として知られる渡辺英寿医師は、脳疾患に関する治療の第一人者として活躍しています。 渡辺英寿医師は、1976年に東京大学の医学部医学科を卒業して、医師国家資格試験に合格しました。最初から脳神経に関わる分野を専攻していて、1976年には東京大学の脳神経外科に入局しました。その後、1977年には三井記念病院で勤務、1979年には東京都立墨東病院で勤務しました。1980年には、東京大学医学部の第一生理学教室助手となり、1985年には東京大学の脳神経外科で助手 …
佐野公俊 医師
佐野公俊、脳神経外科医。まわりの人々は彼を「神の手」と呼んだり「仏の心を持ったドクター、そしてブラックジャックならぬホワイトジャック」と呼んでいます。その理由は世界でも数少ない無血手術が出来る技術をもっており、クリッピング手術と呼ばれる術式の権威だからなのです。 佐野先生が医師を志すにいたったのは近い存在がったからです。医者だった祖父や叔父に憧れを抱いていた佐野先生は名門・慶応義塾大学医学部に入学しました。今の彼を導いたのは大学医学部を卒業後の研修医時代の事でした。研修医としてまわった耳鼻咽喉科。その耳鼻咽喉科の手術の際に使われている顕微鏡を見て思い立った佐野先生。その顕微鏡を脳神経外科の手術 …
小川彰 医師
医療の1分野である脳神経外科には、さまざまな名医が存在します。たとえば、東北地方を代表する名医の1人、小川彰医師がいます。岩手県にある岩手医科大学医学部医学科を卒業した、脳神経関連のエキスパートです。 小川彰医師は、昭和24年3月に宮城県で生まれました。そして、医師を目指して勉強を続け、昭和49年に岩手医科大学の医学部医学科を卒業し、医師国家資格試験の合格を果たしました。大学卒業後は、東北大学医学部附属脳疾患研究施設の脳神経外科に入局しました。そして、昭和57年2月には国立仙台病院で勤務し、昭和60年10月には医長・臨床研究部脳神経研究室長を務めました。 昭和63年5月には、東北大学医学部にて …
塩川芳昭 医師
脳神経外科で活躍中の医師に、塩川芳昭という医師がいます。脳神経関連の分野において、名医と言われる医師の1人です。脳神経に関わる分野全般に携わっていますが、とりわけ脳卒中と良性腫瘍を専門として活動しています。 塩川芳昭医師は、名古屋の生まれです。父親が転勤の多い仕事をしていた関係で、頻繁に転校を繰り返していました。子どもの頃は主に大阪府吹田市で過ごしていて、小学校4年生の頃、東京都に出てきたのです。1982年に、東京大学の医学部医学科を卒業して、本格的に医師としての活動を始めました。東京大学附属病院で研修医として経験を積み、1983年には東京警察病院の研修医として更に技術を磨いていきました。19 …
寺坂俊介 医師
外科系の診療科である脳神経外科には、寺坂俊介という医師がいます。豊富な医療知識・経験、優れた医療技術を持っていて、多くの患者さんを救ってきました。とりわけ高度なスキルが求められる脳神経の分野において、日本の医療を支えている名医の1人です。 寺坂俊介医師は、昭和37年7月27日生まれで、医師を志して学び続け、昭和63年に北海道大学の脳神経外科に入局しました。平成7年からは海外にも出てスキルを高めました。平成7年にはアメリカ合衆国のアーカンソー大学の研究員、平成8年には同じくアメリカ合衆国のアレゲニー大学の研究員として、グローバルな視野を持って、さまざまな知識を身につけてきました。そして、平成10 …
永田和哉 医師
外科系の診療科の1つである脳神経外科には、永田和哉という名医がいます。極めて高い技術が要求される脳神経の分野において、高い評価を受けている医師の1人です。豊富な知識と経験を武器に、脳神経に関する疾患に苦しむ患者を救う活動に尽力しています。 永田和哉医師は、1957年に大阪府で生まれました。1981年に、東京大学の医学部を卒業して、医師国家資格試験に合格しています。医学部を卒業した後は、スウェーデンのカロリンスカ医科大学の臨床生化学客員研究員、新東京病院の脳神経外科部長、埼玉医科大学総合医療センターの脳神経外科講師など、さまざまな経験を積んで、1994年から公立昭和病院に勤務するようになりました …
宝金清博 医師
脳神経外科、脳血管手術の名医として知られる宝金清博(ほうきん・きよひろ/寳金 清博)は、北海道大学病院と北大大学院医学研究科・神経病態学講座・脳神経外科学分野に所属しています。 脳梗塞の画期的治療法の開発、脳血管疾患の権威的存在です。 北大病院は北海道の高度医療の中核病院の1つとされ脳梗塞、脳腫瘍や脳溢血など年間約500人の患者を治療しています。 宝金清博教授の研究分野は外科系臨床医学 と脳神経外科学 。 専門分野は脳卒中の治療、末破裂脳動脈瘤の治療、もやもや病、医療安全。 北海道地区での「新規経口抗凝固薬の可能性」というテーマによる全国エキスパート座談会(2011年 日経BP社)では司会を担 …